2016年5月末...
横浜からここ愛媛県今治市のしまなみ海道の島・大島に引っ越してきた...
...で、一番聞かれることが「なぜ愛媛に?」ということ...
愛媛県はもちろん、四国には縁も縁も無い土地...
おじいちゃん、おばあちゃんが居るわけでもなく、親戚が居るわけでも無く、仲の良い友達が居るわけでも無い...
なんで愛媛県なんだろう?
移住を考えるようになったきっかけ...
移住に関しては2010年頃から真剣に考えるようになった...
一時ライフワークとして、奥会津のJR只見線、磐越西線の撮影に没頭していた時期があった...
2006年〜2007年頃「旅写真」という旅番組のディレクターをやっているときに、当時ブームになりつつあった鉄道写真と旅行を合わせた番組構成の回で、鉄道写真家の中井精也氏をナビゲーターに、磐越西線を走るSL磐越物語号と会津鉄道を撮るという番組を制作した...
その後中井精也氏と意気投合し、プライベートでも一緒に会津に出向き、一緒にSLの撮影を楽しんだ...
旅番組と言っても低予算のCS放送向けだったから東京から行ける範囲のところしかロケには行けなかったけど、将来もし予算が出たときのためにとプライベートでも色んな場所に旅に出かけた...
春の桜、夏の入道雲、秋の紅葉そして冬の豪雪とSLを絡めて撮影するという事にはまりまくった僕は会津若松〜新潟間の奥会津地方に通い詰めた...
また郡山の三春町という場所にもはまった... 滝桜に代表される桜の名所だ...
この三春の桜も何年も撮り続けた...
移住の決意
そしてあるとき... もうここに住んじゃおうかな〜 と思い始め...
郡山だったら新幹線で東京まで1時間20分... 通えない距離では無い...
会社勤めではないので、都内に出るのも週に1〜2回...
当時住んでいた中目黒から家賃の安い郡山に引っ越したとすると、その家賃差額で郡山-東京間の新幹線代を払ったとしてもお釣りがくる...
移住に関する考えがどんどん強くなってきた2011年...
東日本大震災発生...
混乱する現地に引っ越しするという事はできなかった...
でも頭の中は移住のことで一杯!!!
とにかく東京を出たい...
...で、いても経ってもいられなくなり東京と福島の丁度中間地点である栃木県に一端住んじゃおうかなと...
2012年春... 栃木県宇都宮市に引っ越し...
移住の挫折
生まれは大阪の此花区(ユニバーサルスタジオジャパンがある場所ね)で生まれ、小学校〜高校まで大阪府箕面市という比較的田舎な感じの場所で過ごしたけれど、働き出してからはずっと東京...
虫もダメ、ヘビも蛙もダメ... そんな人間が初めての田舎暮らし...
宇都宮に引っ越して半年で愛犬エリックを迎え入れることにもなる。
広がる田んぼや果実畑... 大きな池や川、膨大な広さの公園など、それなりに楽しめたとは思う...
ただどうも栃木は合わなかった...
栃木... 一応北関東...
北関東と言えばヤンキーの巣窟みたいな場所...
週末になれば暴走族の大騒音... 飲み屋に行けばヤンキー軍団...
ちょっと車で走ればシャコタンのヤンキーにあおられる...
海無し県だから美味しい魚が食べられない...
餃子が名物って言ってるけど、東京で食べる餃子の方が遙かに旨い...
それでも豊かな自然、ちょっと車で走れば日光や那須塩原、温泉はどこにでもある...
通ってた福島・奥会津も渋滞区間(東北道の埼玉県抜けるまで...)を通らずに行けるので、凄く楽ちん..
行きつけの料理屋の大将とも仲良くなって、休みには吞みに繰り出すことも楽しみの一つになったり...
ヤンキーさえ居なければ素晴らしいところなんだけどね...
なんやかんやで、2年で宇都宮生活終了...
再びの移住意欲
別にずっと住んでてもよかったんだけど、ちょっと色恋沙汰で横浜に引っ越すことに...
ま、これが最悪で、地獄の横浜生活が始まるんだけど...
なぜ最悪だったかと言うことはかなりプライベートネタなのでここでは割愛
横浜に住んで半年でもう次の移住先を考えるように...
そんな中、愛犬エリックの首、お尻、お腹に大きな腫瘍が出来た...
特に首の腫瘍はエリックの頭に近いくらいの大きさ...
病院に連れてっても原因が全くわからない... 別の病院に連れて行ってもダメ...
変な抗生物質の薬を与えられるだけ... このままだとエリックが薬漬けになってしまう...
ネットで色々調べてるとあることに気づく...
福島県で飼い猫に大きな腫瘍が出来る事案が多発...
原因は放射性物質の可能性...
原発事故が原因だ...
僕ら人間の大人にはどってこと無い線量でも子犬に取っては大きな負担だったんだろう...
そんな中親友のでんちゃん(ハワイモロカイ島在住のアーティスト)からゼオライトが良いよと教えてもらった...
日本では本物のゼオライトは売ってないので、ヤフオクで個人輸入している方から購入...
そのゼオライト水溶液をエリックの肥大した腫瘍に数滴垂らす...
その2日後... 大きな腫瘍が爆発... 体中の膿が出てきた感じになった...
(療養中のエリック... 横浜の自宅)
しばらくゼオライトを飲ませつつ様子を見てたらみるみる元気になってきて、2週間もすれば爆発した腫瘍の傷口もすっかり綺麗になってきた...
そんなことも有り、というかエリックのために東日本は諦めようと考えるようになった...
新たな移住先の選定
福島を諦めた僕は、遠い昔のある人の言葉を思い出していた...
写真の専門学校からデザイン学校に編入した頃、同じクラスの女の子と付き合うことになった...
彼女とは家族ぐるみの付き合いだったんだけど、あるとき彼女のお父さんが愛媛県の松山に転勤になることに...
家族みんなが松山に引っ越す事になったんだけど、彼女だけは学校があるという理由で神戸に残った...
その年の夏休み、僕と彼女はお父さんの転勤先である松山に遊びに行くことに...
そのときに連れて行ってもらった超高級なお鮨屋さんで食べた平目と鯛の活け造りの味がその後僕を魚好きにさせたと言っても過言では無いくらいに旨かった!!
そして興居島(ごごしま)に海水浴に行ったときのその海の綺麗さに心底感動した...
数日滞在している中でお父さんが「愛媛県は本当に素晴らしい... 私たちは定年になったらここに移住するって決めたよ」とおっしゃってた...
その言葉はずっと心の中にあったんだけど、東北を諦めたとたんずっとその言葉が頭の中を巡るようになった...
そうだ愛媛に行こう
そんなこんなで、とにかく愛媛に行こう!!
当時はまだ鉄道好きって事もあり、JRの寝台特急「サインライズ瀬戸」で高松まで行って、在来特急で松山まで行くというお金と時間に余裕のある金持ちシニア夫婦のような移動で松山まで行ってた...
30年以上ぶりの松山...
想像を超える都会って事に驚く...
ホテルから歩けばそこそこの繁華街があって、キャバクラやクラブ、ありとあらゆる飲食店等々...
ここに住んだら中目黒時代(歩いて渋谷まで行ける距離だった)以上に吞みにいってしまう...
何回か松山に通うなか、レンタカーを借りてしまなみ海道を走ってみた...
今まで島に住むという考えは全くなかった...
理由は、仕事で東京に出ないと行けないので、鉄道もしくは空港があるところという条件が頭にこびりついていたからである...
東京に出るには、車で新幹線の駅か、空港まで30分程度という条件...
それがしまなみ海道の島々を見たときにその美しさに憧れさえ持つようになっていったのである...
(大島・下田見港の夕日)
島と言ってもしまなみ海道という高速道路が走っているので、新幹線の駅までサクッと行ける...
島も有りだな...
そこから島も移住先の条件として加わることに...
ひょんな事から...
何度目かの愛媛の旅は、しまなみ海道を中心に移住先を捜す旅に...
事前に調べていた大三島の空き家バンクNPOや、愛媛県の移住促進担当者にもアポを取っていた...
大三島の空き家バンクさんにとりあえず物件見ますかと数件見せてもらったけど、どうもイマイチピント来ないというか... 東北や新潟、長野でいくつか見た古民家物件とは大きく異なるタダの中古物件...中には朽ち果てる直前の物件まであった...
担当の人も普通の素人のおばさんが面倒くさそうにやってる感じで、余り良い感じはしなかった...
愛媛県の移住促進担当者の方とも話したけれど、イマイチ移住に真摯に向き合ってないというか...
唯一親切に色んなお話を聞かせてくれたのが、大島に移住されて20年というお洒落カフェ友浦サイトの渡辺さん... 移住者目線から色んな事を教えてくださった...
東京で四国の移住フェアというイベントがあって、それに参加したときは高知県の勧誘が凄かった... とにかく来て欲しいとその切実さが本当に伝わってきた... 愛媛県では新居浜市とかが誘致に積極的だったが、若い労働者を求めている感じが強かった...
高知県も魅力的なんだけど、東京に出るのが大変!! 新居浜市は何となく工業地帯というイメージ...
なかなかうまくいかないなぁ〜と思っているときに、身近な人間から大島に知り合いが住んでるということを聞かされる...
僕の音楽制作に関してはULTIMATE RYHTHM & NOISEというユニット形式でやってるんだけど、そこで一緒にやっている中道君とうスーパーキーボーディストがいる。
彼は様々な音楽活動の一つで、アーティスト松山千春さんのライブツアーのキーボードも担当している...
その松山千春さんのライブツアーのバンマス・ピアニストおよび千春さんの楽曲のアレンジも行っている夏目一郎さんがしまなみの大島に住んでいるとのこと...
早速夏目さんを紹介していただき、2015年の年末大島に向かった...
大島に来て、はじめて夏目さんにお会いして連れて行ってもらったのが海宿・千年松さん...
そこで渡邊専務を紹介してもらい、ディープな島の話を沢山聞かせてもらうことに...
いきなり、この島にお知り合いが出来て、しかも島の重鎮の専務とも仲良くなれたって事で、じゃまずは大島に引っ越しするか!!!
ってことで、2016年5月末... この大島に引っ越してくることになったのです...
とまあ、ざっくり書いたらこんな感じなんだけど、本当はこんな簡単なことではなく、色んな人や、色んな事が複雑に絡み合って... それ以前に人生とはなんぞや!みたいな事から残りの人生の生き方とか色んな事を考えて考え抜いた末での移住決断なのでございます。
本来あまり物事を複雑に考えるようなタイプでは無く、何でもすぐに行動する性格なので、自分ではそんな大変なことやってる感じは無いんだけれど...
今後どうなるか?なんて誰にもわからないので、とにかく毎日を楽しむしか無いかなと...
ということで、しばらくはこの島暮らしを謳歌したいと思っています。